けっして、帰りたいわけじゃない。
逃げ出したのは私のほうだった。
それでも帰る場所がないことを思い出すと、ちょっとだけ、
この両手がなんのためにあるのか分からなくなるときがある。
久しぶりに読んだ島本理生さんの作品。
1983年生まれでおない年ということでデビュー当時から読んでいる。
若手作家さんの中では綿矢りささんや金原ひとみさんなんかもいるんだけれども
私は昔から島本さんの小説の雰囲気やその紡ぎだされる言葉が好きだった。
この作品はもうデビュー10周年記念とある。
もうそんなに経つのか!と思わず驚いてしまうのだけれども
この作品にはなんだか今までの彼女の作品で一貫して出てきたものの
集結集のように感じられた。
読みながらじわじわと胸の中に押し寄せられる感覚を振るうことができない。
なんとなく息苦しい思いで読み進んでいき
読み終わったあとに、微かな希望の光が見えるものの
正直爽快感などはなくて、逆に胸の中に痼りが残ったような感覚を覚える。
読んで一晩経ったいまでもなんとなく小説のなかの
雰囲気に呑み込まれているようで、胸が軋む。
読み終わったあとでもう一度表紙を見比べてみる。
足下のおぼつかないボールの上でバランスを崩しそうな少女が「上」。
そして階段の上で佇みながら祈る女性が「下」。
裏にはその表拍子と反対の絵が描かれていて
改めてなんだかその意味を深読みしてしまう。
上巻では主人公黒江の中学生から高校生までが描かれる。
学生時代のあのなんともいえない無邪気さの中に含まれた残酷さ。
黒江にあてられる母親の他人行儀なまとはずれな言葉たち。
何気ない描写が、やけに頭にこびりついて、頭から離れないのだ。
彌生君。
羽場先輩。
堅治くん。
光太郎。
師匠。
西田君。
お父さん。
黒江を取り巻くいろんなおとこたち。
だけど私は、怖かった。彌生君がいなくなってしまったら。
神様のいない世界で、私はなにを信じて守られればいいのだろう。(140)
下巻に入ると、話は黒江が家を出てから2年後という設定ではじまる。
カメラマンのアシスタントとして師匠と暮らす黒江の生活。
じわじわと露になってくる暗い影の正体。
巡り巡ってきてしまうのだろうか。
人がその人となる過程に絡み付くもの。
生きることはすばらしいことだと思い込まされて、だから、そう感じないのは変で、いつかすばらしくなるから生きるべきだと信じていた。でも本当は、生きることなんて、つらいことが大前提じゃないだろうか。なにかを傷つけて、死んだものを食べて、欲望に追い立てられて。あるいは欲望を持つ者に追いかけられて。誰かを救ったって、そんなの罪滅ぼしと変わらない。(254)
黒江の歩んできた道をみてみるときっと選択ミスがいくつもある。
目を背けたくなるような傷がたくさんある。
それでもそこに人のやさしさがなかったわけではない。
どうして人が、人を傷つけてはいけにのか思い知った。
時間が経って、ようやく見えてくる事実がある。
世界は一つじゃなくて、
分かっていると思っていたことはただの思い込みだった。(297)
誰しもがそれぞれに傷を持って生きている。
それらに折り合いをつけながら、すすんでいけるのだ。
思い出すことはあるだろう。
その度に立ち止まることもあるんだろう。
でも、忘れることはできなくとも、記憶の隅にやれることはできるから。
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