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3.22.2012

いつも異国の空の下/石井好子


石井さんのお料理エッセイを買った時に隣にたまたま並んでいて、
こちらも面白そうだったから一緒に買っていたのを読み終った。
こちらは彼女の歩んできた道、シャンソン歌手として彼女が経験してきたことが語られている。

彼女が海外に飛び立ったのは、昭和25年。
終戦からまだそんなに時が経っていない時に彼女はサンフランシスコへ向かった。
いまの時代だから留学なんて珍しいことでもないけど
この当時、きっと彼女のように女が独り海外へ出て行くなんてとても珍しいことだったんだろうな。

サンフランシスコ、NY、パリ、ドイツ、スイスにキューバ。
彼女が旅した国は数多く、その都度彼女が感じたことがとても素直に書かれている。
彼女の書くエッセイが面白いなと思うのは、決して気取ってはいないこと。
見たものを見たままに、感じたことを感じたままに書かれてるような気がするから
なんだかすっと入っていける。

あまり知りえないこの時代の各国の芸能事情(歌手としての生き方)。
それにあわせて、ところどころからその時代の時代背景もみえてくる。


読みながら、やっぱりこの石井さんって人は
なんともバイタリティーある人だったんだな、と感じた。
ひとりの女性の歩んできた道として、読んでいてなかなか面白かったです。



3.14.2012

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる/石井好子

お料理はなんのきまりもないのだから、とらわれないことだ。それから自信をもってまな板に向かうことだ。こんな材料ではおいしいものがつくれる筈はないと思う前に、これだけのものでどんなおいしいものをつくってみせようかと考えるほうが幸福だと思う。 ―「巴里の空の下オムレツの匂いは流れる」(117)より

前にmarieちゃんが紹介してたのを読んで以来、読みたいなと思ってた本。
ちょうどジュンク堂に行った時に見つけたので
姉妹本の「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」とともにお買い上げ。

まずタイトルが素敵だよね。おいしそう♡
(中でこのタイトルはシャンソンの歌のタイトルをもじってつけたものだ、ってあるけど)
シャンソン歌手の石井好子さんの食べることがすき、作ることがすき、という
その想いが文章の端々から滲み出ていて
なんとも読んでいて幸福な気持ちになってしまうエッセイ本。
食べ物の描写がすごくうまくて、その香りや風味なんかも情景に浮かんでしまう。

お仕事柄世界各国を旅されてるから、お料理も多国籍。
パリでマダムが作ってくれたオムレツだったり
イギリスの紅茶の話だったり
スペインのヴァレンシア風のごはん(パエリア)だったり。

お料理と旅エッセイがごっちゃになった感じでどちらも好きな私には嬉しい。
食べ物というのはその国の文化の一部。
この本では、それぞれの国の食べ物の話をしながら、その国の文化も垣間見れる。
そこがまた私にはたまらない。

何気ない口調で書いてあるけど、この人は随分観察力の鋭い人だったんだろうな。
ありありとその様子が思い浮かべられるように描写するのって案外難しいもの。

そして驚いたのが1963年の「暮らしの手帖」から単行本になっているということ。
50年近くも前に書かれているというのに、まったくそれを感じさせないというのはすごい!
言われなければきっと気づかないかもしれない。
それほど時代を感じさせない(いい意味で)なんて素晴らしい。
時代が変わってもいいものは、いい。とはいうけれど、まさにこの本はそれを証明してる。

いくつかかいつまんでお話しましょう。

*オムレツのはなし。
私も石井さん同様、昔から卵料理は大好き。
確かにオムレツはできたてを食べるのが一番美味しい。
それに比べてお弁当の卵焼きってのは、さめても美味しいのだから優れものよね。
本書で、アメリカのチーズオムレツが美味しくない話をされてたけど、まさにその通り。
卵好きな私としては朝ご飯かブランチで外食するとついついオムレツを頼むんだけど
アメリカに住んでる間は、それで何度も失敗したものです。
まずチーズを入れすぎてて卵本来の味が消されちゃってるのが悲しいところ。
色んなところで食べるけど、アメリカで「これはっ!」と思う卵料理に出会ったことはあまりない。
"オムレツの作り方を知らないのか、手間をかける時間がおしいのか、どちらかは知らないけれど、やはり親切心がたりないのと、食べものに愛情を感じていないせいだとおもう。"―「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」(11)より
と、あるんだけどこれはあながちあたってるのよね。
アメリカ人が食べ物にたいしてあまり愛情を持っていないという話は
他の章でも触れられてたけど、私もそれは長いことアメリカに住んでいて感じたこと。
あくまでアメリカ人にとって"食"とは空腹を満たすための"食"のような気がするんだよね。
もちろん食べることが好きな人、作ることが好きな人もいるし、美味しいものもたくさんある。
それでもアメリカという国を大きく括ってしまってみたときに
石井さんの言葉を借りれば"食べものに愛情を感じていない"というのは一理あると思う。
食べることに対する執着心があまりないように思う。

*ご馳走することについて
石井さんの本を読んでると、彼女は本当に人に食べさせるのが好きなんだな、と思う。
私も人を呼んで手料理を食べさせるっていうのは結構好きで
最近は2週間に1回くらいの割合で、テーマをつけて料理を作って招いたりしてる。
で、石井さんは旦那か誰かが急に誰かを連れてきた時、
ご馳走しようと思わなければいい、と言ってる。
まさにその通りよね。
でも、せっかくだから……とついついあれこれしたくなっちゃうってのもあるんだけど。

*じゃがいものはなし。
戦時と戦時後に石井さんがよく食べていたというじゃがいも。
さつまいもよりじゃがいもが好きだという彼女。私もどっちかというとじゃがいも派。
ベークドポテトも、マッシュポテトも、ハッシュブラウンも、コロッケもポテトサラダも大好き。
そしてそのじゃがいもの話の締めが"こんなに、じゃがいも料理に目がない私だけど、あまりじゃがいもばかり食べるとスタイルまでじゃがいも型になりそうだ"(177)とあってなんだか可愛い(笑)

*ロールキャベツのはなし。
私もロールキャベツってどこの料理なんだろう、と思ったことがあった。
アメリカで今まで見たことなかったのに、数年前のクリスマス
旦那の祖父母の家にいったとき、出てきた料理がロールキャベツだった。
そのロールキャベツは煮込んでなくて、オーブンで調理してあったけど
見た目はまさにロールキャベツ。味もそうだった。
私はてっきりロールキャベツはどこからか伝わってきて勝手に日本人が
手を加えていまのロールキャベツというスタイルになったものだと思ってたけど
石井さんの本を読む限り、ドイツでもスウェーデンでもあるんだね。
"上にかけたチーズの粉がこんがりと狐色にやけて、チーズのこげるにおいと、ホワイトソースの甘い香りが、部屋じゅうにただよう。ぐつぐつぐつぐつ、まだ皿の中で煮立っているグラタンを、食卓に持ってゆく。そして、大きなおさじで一人一人のお皿にとりわける。とろっとしたホワイトソースに包まれて、ロールキャベツは、ほかほか湯気を立てている。ここまで手をかけると、ロールキャベツも、立派な一品になるのだった。"―「東京の空の下オムレツの匂いは流れる」(10)より
これを読んで、私のロールキャベツ食べたい熱に火がついたのでさっそく作ってみた。



石井さんが書いていたようにホワイトソースの中にロールキャベツを煮た残りのスープを
加えたら本当に味が濃くなってとても美味しい。
ことことじっくり煮込んだので、とろっと口の中でとろける。
やっぱり時間をかけるとそれだけ美味しくなる。

そんなわけで他にも色々と食欲や料理欲をそそられる話が
たくさんあって、なんとも素敵な本でした。
marieちゃん、紹介ありがとね♡


3.02.2012

不思議な羅針盤/梨木香歩


梨木香歩さんといえば有名な作品は『西の魔女が死んだ』。
私も大好きな作品で、そこからいくつか彼女の本は読んでいるのだけれどもエッセイは初。
ちょうどジュンク堂で彼女の本が飾ってあるセクションがあって
(彼女は鹿児島出身だったのね。というのもこのエッセイで知って、納得)
そこでなんとなくこのタイトルと、青い空と草という帯に惹かれて手に取った。
立ち読みしてみると「あ、これはゆっくりと読みたいな」と思ってさっそく購入。

このエッセイは雑誌『ミセス』に連載されていたものをまとめたもの。
(年齢的にはうちのママ年代の方たちかな)
同年代の人とおしゃべりするような気持ちで書いた、とあったけれど
梨木さんの丁寧な生活が垣間見れて、とても心穏やかに読むことができた。
草花のこととか、鳥のことだったり、彼女が小さい頃の話だったり。 
ひとつひとつのエッセイを読みながら、
なるほどこういう人だからあんな風な作品が生まれるのか、
と、妙に勝手に納得してしまうエッセイ集だった。

距離を移動する、それだけで我知らず疲労してゆく何かが必ずあるのだ。このマクロにもミクロにもどんどん膨張している世界を、客観的にわかろうとすることは、どこか決定的に不毛だ。世界で起こっていることに関心をもつことは大切だけれど、そこに等身大の痛みを共有するための想像力を涸らさないために、私たちは私たちの「スケールをもっと小さく」する必要があるのではないだろうか。スケールを小さくする、つまり世界を測る升目を小さくし、より細やかに世界を見つめる。―― 9.「スケール」を小さくする より

確かにグローバル化している現代、色んな情報が溢れていて
FacebookやらTwitterやら色んなツールですぐに世界に発信できる。
その面白さはもちろん感じているけれど、同時にそこに頼りすぎている部分もある。
まずは自分の手の届く範囲に気配りを。
梨木さんの言葉を借りるなら"より細やかに世界を見つめる"ということも大事だ。

15章に特別編として"「魔女」はきっと、直感を正しくつかう"という章があるのだけど
この章が私的にはなんだか好きだった。

もう、だめだ、と思ったら逃げること。そして「自分の好きな場所」を探す。ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからといって、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。逃げ足の速さは生きる力である。津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。そのときは、逃げない。―― 15.「魔女」はきっと、直感を正しく使う より

梨木さんが人間関係にがんじがらめになっている子供たちにいってあげたい言葉
というのに「シロクマはハワイで生きる必要はない」というのがあった。
そこでどうしても生きていけなかったら、逃げてもいいのだよ、ということ。
でも、それだけじゃない。
いつか自分できちんと見極められるようになった時は、逃げない、ということ。
優しさとともに、たくましさを感じる言葉に、なんだか私も慰められた。


とにかく素敵なエッセイの集まりで、ひとつひとつじっくりとたのしめた。


11.15.2011

たとへば君―四十年の恋歌/河野裕子・永田和宏


たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

国語の教科書に載っていたのを思い出す。
この歌を読んだ(聞いた)ことは学生時代にあったけれど
著者の名前もすっかり忘れていたし、著者自身のこともよくは知らなかった。
歌集というものに触れる機会があまりないので、
彼女の旦那さんがまた歌人だということも知らなかったのでまったくの無知だ。
そんな私が何気なく手にとったこの本。
何を読もうかと色んな本をぱらぱらとめくっていて、ふと目に留まったので試し読み。
少し読み出したら止まらなくなってしまってそのままお買い上げ。

この本は歌集でもあり、エッセイでもあり
永田さんが亡くなった河野さんにあてたラブレターでもあるような気がする。
河野さんと永田さんの出会いから始まり、結婚、子育て、
乳がんの発見から闘病生活、そして最後のその時までを
歌を通しながら、それらに時々エッセイが加わって語られる。
短歌というものについて詳しくは知らないしわからないけれども
短いその歌の中に篭められた想いがだらだらと書かれているよりは
なんともよりリアルで、二人の歌のやりとりに魅了された。

恋してる時の想いだけでなく、日常の何気ないことや
愚痴なんかまでうまい具合に歌にされていて本当にすばらしい。

乳がんが発見された時の彼女の歌。
それからの闘病生活は彼女自身はもちろんのこと
ご家族にとっても相当大変なものだったみたいだけれども
最後の最後まで歌い続けた彼女はやはり死ぬまで歌人だったんだろうし
それをわかっていて、最後まで彼女の言葉を書きとめてきた
「家族の愛」というのもものすごく感じられた。

何度も何度も読み返したい。
私にとっては特別な一冊になりそうです。